無為自然
少し日にちが経ってしまったけれど、先日アシスタントとして入らせてもらったフェニックス・ライジング・ヨガセラピー(PRYT)応用コースでの、個人的な体験を書き留めておこうと思います。
そもそもこのところ、他者に対しての優劣や上下、みたいな競争から降りたいと強く感じていて。
そうすることが正しいとか素晴らしいとかっていうようりも、そこに巻き込まれているところに幸せはない、ということが心底腑に落ちて、けれどまだまだ自分のなかにはそういった部分がたくさん残っていて、ちょっと腰を据えてそこと向き合いたいと思った、という感じなのですが。
そんなテーマを持って臨んだ応用コース。
私の立場はアシスタントであり、今後セラピスト養成コースに進む人にとっては先輩にもあたる。
だけどこういう立場ってあくまでもこの時その役割を任せられているというだけであって、どちらが上とか下とかっていうのは本来ないわけで。
なのだけど、参加者の中には私より年上の方がいたり、数年前に一緒にトレーニングを受けた仲間が自身の勉強のため再受講していたりして、こういうとき、私はわずかに居心地の悪さを感じてしまう。
それは、「私はあなたたちより上の立場ではないんですよ」と言わんばかりに、妙に腰を低くしてしまいたくなるような感覚でもあった。
応用では毎朝セラピューティックヨガの時間があり、アシスタントも一緒に参加させてもらうことができた。
私の体は大抵とても力強く安定していて、けれどそこに対しての、何とはなしの居心地の悪さも感じていた。
そういえばシェアリングの時間では、ヨガの時間の中で不安定さを感じたというようなシェアも多く出ていた。
自分だけ(ではないんだけどね)できていることに対しての引け目。
それはそのまま私の日常でのあり方そのもので、だけどポーズが安定しているかどうかによって人の優劣が決まると思い込んでいる部分があったなんて、よくよく考えてみたら、なんだそりゃ??
セラピューティックヨガでは、そのときのフィーリングに対してより気づきを向けやすいような声がけがあり、個人セッションと同じく、体験を振り返り統合していく時間がある。
人に上下がないのだとしたら、それを心底理解していたのなら、上じゃないですよっていうジェスチャーをする必要もないわけで。
ただ、ニュートラルな自分でいたらいい。
これまでにもこういった気づきはあるにはあったが、体を通して感じたフィーリングはとても鮮明で強烈で、私の中に深く刻み込まれたような気がした。
素の自分でいるっていうこと、それはある種の強さであって、その感覚はそのまんま、「今に存在すること」とイコールだ。
私はいつも「あなたはあなたのままでいい」というメッセージを発信しているけれど、自分が自分のままでいるって、時に勇気がいることであったりもする。
で、それを妨げているものは何なのかに目を向けていくのが、このPRYTやクリパルヨガがやろうとしていること。
アシスタントという立場ではあったけれど、私自身もPRYTを受けたような濃密な時間でした。
さて、明日からは300時間クリパルヨガ教師トレーニング「ヨガとアーユルヴェーダ」のモジュールに参加してきます。
この応用アシスタントから今日までかなり忙しい日々が続いていたので、10日間どっぷり自分の学びに浸れるというのは、とても楽しみ。
多くの人と関わる時間でもあるので、引き続き自分の中のテーマにも意識を向けながら臨もうと思います。
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