「自分」という役割から降りる
私の趣味は旅行なのですが、特にひとり旅が好きで、昔はよく海外を長期旅行していました。
時間のない世界 でも少し触れたけれど、誰も知らない国で、あまりにも文化の違う人たちと接していると、守るべき「自分」というものが、だんだんと希薄になっていくような気がします。
私はこういう性格で、こういうことをしていて、こんなことができて、こんなダメなところがあって…などという、「自分」にまつわるストーリーが、その地ではあまりにも意味をなさず、だんだんとどうでもよくなってくる。
ヨガでは、「自分」や「自分がいる」というセルフイメージのことを「アハンカーラ」と呼びます。
たとえば私だったら、「ヨガ教師」「主婦」「女性」「日本人」などなど。
でね、このセルフイメージ、私はあまり握りしめていないほうだと思ってたんですが、先日ふいに、まだまだ思いっきり握りしめていた!っていうことに気がついてしまったんです。
たとえば、「ヨガ教師」という肩書きに縛られたくない、縛られないように…と思っていながらも、「長年ヨガをやっていて、ある程度ヨガのことを理解している者」っていうイメージ(=役割)を握りしめていた。
だからこそ、失敗が怖かったり、認められたいという思いがどうしてもぬぐえなかったんだ。
で、人に好かれたい、嫌われたくない、というような思いも、「私 = 鈴木千絵」という役割を握りしめているからなんだなと。
セルフイメージというのは正に「イメージ」であって、それらはただの記憶であり、「こういうことにしておきましょうね」というとりあえずの決め事であり、必要な場では機能したとしても、それを24時間365日握りしめていたら、疲れるのは当然のことで。
だから、ときどきその役割から降りる時間を作る必要があるのだけれど、役割に馴染みすぎてしまうと、それが簡単にはできなくなってしまうんですね。(休んでいるときでさえ、仕事や、対人関係のことで頭がいっぱいだったり。)
外国の田舎町で、私は誰である必要もなく、ただそこに存在するだけでよかった。
そこでは、私の過去や未来は意味をなさず、私が日本で握りしめていた役割もすべて必要がなかった。(まーインドでは挨拶がわりに職業や、なんなら親の職業(!)まで聞かれたりしますけどね)
私は、誰でもないただの自分に戻るためにひとり旅をし、そのことによって少しずつ回復していったのだと思います。
今度1日瞑想会を行うのですが、その趣旨も同じで、瞑想会の間だけは「自分」という役割から降りる時間です。
なかなかひとりの時間がとれないという人や、休んでいてもあれこれ考えがとまらないという人は、こういったものに参加してみるのもいいかもしれません。
また、1日のうち、ほんの1〜2分でもいいので、自分の呼吸だけに注意を向ける時間をとるのもおすすめです。
いずれにしても、今だけは「自分」という役割から離れてみようという意図、または、今はこの役割は必要がないんだ、という理解(=日常のあれやこれやを一旦横に置くこと)が大切です。
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