2018年をふりかえる
2018年、振り返ってみると、忙しい年だった。
フェニックス・ライジング・ヨガセラピー(PRYT)養成コースのアシスタントに入っていたこともあり、また、ありがたいことにPRYT個人セッションのお申し込みも多くいただいていて。
養成コースのアシスタントでは、メンターになるためのトレーニングも兼ねていたため、かなり密にプログラムに関わらせてもらい、トシさんのサポートをしながら学ばせてもらっていました。
私は、自分がこの養成コースを受ける前から、いつか自分もメンターとなってトシさんのサポートができれば、と思っていました。
それは私の心からの喜びであり、トシさんへの恩返しのようなものなのかもしれません。
けれど、そのためにはまだまだ私自身学ぶことがたくさんあって、まあそのためのアシスタント兼メンタートレーニングなのだけど、当然思うようにいかないことは何度もあり。
トシさんのサポートがしたかったのに、逆に手をわずらわせてしまうようなことがあったときには、自分の不甲斐なさを強く責める自分がいました。
そしてそのとき、うまくやりたいと願うその奥には
「認められたい」
という強烈な承認欲求があったことに、はっきりと気づかされました。
以前からそれがあることは知っていたけど、ここまで強烈な思いがまだ隠れていたなんて、ちょっとショックだった。
そしてその裏にあるのは、これまた強烈な無価値感。
何かができる自分には価値があり、できない自分には価値がないという根深い思い込み。
あーあー。
だけど同時に、それが真実でないことも、理解していた。
私が本当に望むことは、トシさんに認めてもらうことなんかじゃなく、トシさんのサポートをすること。
私が本当に望むことは、誰かに認めてもらうことなんかじゃなく、私が、私を認めてあげることなんだ。
けれども、強く根深い無価値感はみぞおちからお腹にかけての激しい痛みとして感じられ、簡単に振り切ることはできなかった。
気をぬくと、すぐにその感情に巻き込まれてしまい、それを通して世界を見ようとする自分がいた。
2018年の後半は、そことじっくり向き合う日々でした。
痛みをしっかり感じてあげて、けれどそれに対してのリアクションはしない。
つまり、人に認めてもらうための言動をやめる。
そんなことを日々続けていたら、このごろ明らかにそこから「抜けた」感覚があった。
まだまだ完全になくなったわけではないし、完全になくなることはないのかもしれない。
でも、痛みはずいぶん小さくなって、心には静けさが返ってきた。
そうしたら、あらためて自分がいかにこれまで無価値感を補うための言動をしていたかということにも気づかされた。
誰かに認めてもらうために、褒められるために。
あるいは、
誰かに嫌われないために、迷惑をかけないために。
けれど、そんなところがモチベーションの言動には、心からの喜びは伴わない。
人の役に立つことを、自分の心の穴を埋めるために利用したって、その穴はいつまでたっても埋まることはない。
役立たずであることは死に匹敵するような恐怖に感じられたけれど、なんてことはない、わたしも、あなたも、あのひとも、このひとも、何もできなくても、ただ存在しているだけで、すでに価値がある。
・ ・ ・
はーーー、というわけで、長い道のりでした。
しんどかったけど、でも、必要なプロセスだった。
このブログではできるだけ包み隠さずかっこつけずに自分のことも書いていきたいと思っているので、大晦日にはちょっとディープな内容ですけど、2018年のうちに書き記しておきたいと思い、アップすることにしました。
読んでくれてありがとうございます。
ヨガは本来の自分自身へと還っていく道です。
それは、いつかどこかの、遠い未来で達成されるものではなく、
いま、ここで、あるがままを受容したときに、
すでにそうであったと気がつくもの。
今年なにかしらの形で関わってくれたみなさま、本当に本当にありがとうございました!
2019年も、どうぞよろしくお願いいたします。
鈴木千絵
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