Dec 15, 2016

フェニックス・ライジング・ヨガセラピー体験記(私の体験)

ミッドタームの終わりにミシェルから受けた
フェニックス・ライジング・ヨガセラピー(PRYT)の個人セッションは、
私の人生をぐるりと一周するような体験だった。

ミシェルはプロのPRYTプラクティショナーであり、
今回のミッドタームでは彼女が私のメンターを担当してくれた。

ラーニングセッションも終わり、ほっとした顔の仲間達を横目に、
広いスタジオの隅っこに用意されたセッションスペースへと向かう。

それまでの賑やかさから離れていくことへの、一抹の寂しさも感じながら。

ついさっきまでみんなの熱気に満ち満ちていた部屋。
私の体はまだ少し余韻を引きずり、ざわついている。

セッションがはじまり、ミシェルは「部屋を歩き回ろう」と提案してくれた。

手足を揺らしたり大きく伸ばしたりしながら部屋を歩き回っていくうちに、
意識は次第にこの広い空間の中にいる自分自身にフォーカスされていき、
立ったまま前屈した状態で、見ないようにしていた感情が一気に押し寄せてきた。

ああ、私、泣きたかったんだな。

悔しい。悔しい。
もっと、うまくやりたかった。

私、本当はもっとできるのに。
もっとうまくできるのに!!

我ながら馬鹿馬鹿しくも思える感情が溢れ出た。
マインドは「うまくって何さ」と呆れているけど、
そう思っちゃっているものは仕方がない。

感じていることをミシェルに伝えながら、
「私、この感情知ってる」って思った。

大きな力に押さえつけられているような閉塞感。
言葉を発することすらできず、立ち尽くしていたあの感じ。

それは今にはじまったことなんかじゃなくって、
小さな頃から人生の様々な場面で触れていた感情で、
その後行なったヨガのポーズの中でも、
身体感覚としてずっと私の体の真ん中にあり続けた。

ミシェル、でもね、これを感じるのは、嫌じゃないんだ。

なんとなくミシェルの顔が見たくなり、目を開けてそう伝える。
ミシェルの瞳は私の存在そのものを見つめてくれているようだった。

嫌じゃない。
子供のように泣いてしまうことは、
決して嫌なことではなかった。

それからしばらくして、体を横に倒して小さくうずくまるように丸まったときに、
すべてを包み込んでいる自分に気がついた。

先日仲間と交換セッションをしたとき、「自分の体が宇宙みたい」って
仲間が言っていたけどまさにそんな感じで、

自分の中にすべてあったんだ、って、
恐れていたものも憎んでいたものも、全部全部はるかに弱くて小さくて、
それらはすべて私の中にあったんだ、
私にはそれらを包み込むだけの力と慈愛があったんだって、
それじゃあもうなにも恐れることはないなって、そんな気がした。

私には、力がある。
小さなプライドとか、もう握りしめていなくていい。
被害者意識を手放して、これからは、与える番。
そこに徹すること。
・・・幸せでありたいのならば。

そんな気づきとともに(実際には具体的なアクションプランも立てて)、セッションは終了した。

開け放たれた窓からは少しぬるいような夜風がびゅうびゅうと入り込んできて、
たくさんたくさん泣いた私は、子供の頃にこんなシーンがあったかもしれないって、
なんとなく思った。

ヨガブロックをふたつ抱えて、棚に戻そうと歩き出す。

ミシェルが、あなたクライアントなんだからそんなことしなくていいのよ、って言う。

うん、なんかね、こうしたいんだ。

夜風を浴びながら、一歩一歩コルクの床を踏みしめる毎に
少しずつ現実に戻ってくるような、不思議な感覚がした。

部屋のドアを開けると、受付にはこれからヨガクラスを担当する
文ちゃん(PRYTトレーニング仲間)の笑顔があって、ちょうど食事から戻ってきた
裕恵さん(同じくPRYTトレーニング仲間、これから文ちゃんのクラスを受ける)の笑顔があって、
裕恵さんが「パンケーキふわっふわだったよ」って教えてくれて、
ふわっふわのパンケーキを食べに、私はスタジオをあとにしたのでした。

おしまい。