Dec 9, 2016

ひとくぎり。

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フェニックス・ライジング・ヨガセラピー(PRYT)トレーニングLevel3の
すべてのプラクティス・セッションを終えて、
すべての課題レポート等を提出し終え、ひとまず肩の荷がどっと下りました。

ふ〜〜〜、丸1年、ほんっっっっっと、大変だった。笑

だけどその大変さは私にとって、「辛い」とか「苦しい」とかっていう種類の大変さではなくて、
(いや時にそう感じたこともあったかもしれないけれど笑)、充実感を伴うものだった。
まさに1年間、エッジに居続けたのだな〜

今回、トレーニングを通して何度も何度も自分の心の癖と向き合った。

はじめはそれこそ「アイタタタ…」っていう感じであまり見たくないものもあったのだけれど、
メンターの「間違いを正すのではなく、何が起きているのかに気づいていくことをサポートする」
という徹底した姿勢のお陰もあって、そんな自分を否定せずに、冷静に受け止めて、
じゃあ何ができるのか?っていうところに意識を持っていくことができた。

それはちょうど、押し入れの奥深く見えないところにしまってとうの昔に忘れ去られていた物を
懐中電灯を照らして見つけ出していく作業のようで、
発見したときは埃かぶってるし嫌だなあ見たくないなあって思うんだけど、
それを丁寧に拭いてあげると気持ちもさっぱりして、
じゃあこれをどうしようか?もういらないなら捨てようか?
もうちょっと置いておこうか?って選択していくことに似ています。

成長って、何かを付け足すことじゃなく、そうやって自分を知っていくこと。
PRYTのセッションも、クリパルヨガも
(そしてPRYTプラクティショナーのトレーニングもクリパル教師トレーニングも)、
やっていることはおんなじです。
それが人として成長していくこと(=成熟さ)なのだと思います。

この1年で、私は私をますます愛せるようになったなあ。
同時に、奥深い自己否定がまだまだあることにも気づかされた。

でも、それでいい。
そのままでいいんだって思います。

そして「他者との繫がり」というものともとことん向き合い続けた日々でした。

それは私がクリパルやPRYTを愛する理由のひとつでもあって、
目の前の人が誰でどういう人だとかそんなこと関係なしに、
私たちは繫がることができるんだ、っていうこと。
それは、無条件の愛。

この1年、なかなかヨガクラスの方に意識が向きにくく、
生徒さんには申し訳なかったなと思っています。

だけどその分、1クラス1クラス、私自身がその場にしっかりと存在して、
一人ひとりの生徒と繫がろうという意図だけは忘れなかった。

結局そこが一番大切なのだということも、再確認されられました。
(同時に、これまでも意識してやってるつもりで出来ていなかったことにも気づかされた)

トレーニングの課題提出はひとまず終わったけれど、
メンターに見てもらって、場合によっては再提出などの可能性もあるため、
(場合によっては認定自体が延びることも)
フェニックス・ライジング・ヨガセラピストとして一人前になるのはもう少し先。

なのだけど、自分の中でひとまずの区切りがついたこと、その開放感に今は浸っています。

そしてここから、いよいよ明日オープン!の
Kripalu Westの方にも意識をシフトさせていきたいと思います。